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「歌川派」の芸術特徴を応用した「山海経」の表現方法に関する研究

1.1研究テーマ  

本研究では、『山海経』という中国の奇書の中にある神話性を持った超自然的な存在を題材とし、歌川国芳とその門下の弟子達による作品の芸術表現法を参考に、『山海経』の内容を新たなイメージで表現すること目指す研究である。

 1.2研究制作の背景と意図 『山海経』は中国の空想的地理書と呼ばれている。成書時間は中国の戦国時代から秦朝、漢代にかけて徐々に付加執筆されて成立したものと考えられている。

『山海経』には現代人にとっては想像もつかない怪奇な生物や哲学的神話伝説など、様々な内容が記載されている。これらのものは荒唐無稽と感じられるが、シンプルな言葉による描写は超現実世界を強烈に印象づけている。そのため今も人々が魅力を感じている。  

『山海経』は全十八巻で、全書合わせて三万一千字余りに過ぎないが、あらゆるものが収集されている。古代人の日常生活の百科全集といえよう。袁珂によると、『山海経』の成書時間はおそらく戦国時代初期から前漢代初期にかけて楚やその旧地の人によって書かれたと述べている[1]。もともと往時の『山海経』の各編に全て絵があり、しかも主要な地位を示していたらしい。そのため、『山海経』は『山海図』とも言った。また現代の研究者により、『山海経』はもともと絵のみだったが、のちに文章を付け加えたとも言われている。しかし、時代の流れにより、文章だけ残されたと言われている。袁珂は『山海経』や中国の神話が散逸してしまったその原因を述べていた。一つは中華民族の祖先は厳しい生活に苦しむことにより、現実を重んじるあまり、想像を軽んじ、往来の伝説を昇華することができなかった。もう一つは孔子(前551ー前479)が世にでると、無根な神話より実用的な教訓を重視し、神話の輝かしさが儒家の思想の解釈により逆に散逸してしまった[2]。つまり、社会環境と時間の流れにより、現在の人が『山海経』の元の姿を見ることができなくなった。その後、のちの時代の人が『山海経』に書かれた生物の身体的特徴を分かり易く表現するため、線描のイラスト(図1)を描いたが、視覚的な刺激と神話的な部分が重視されていないため、『山海経』の怪奇性の表現と画面のインパクトが強調されていないように思える。  

それに比べ、日本の浮世絵の妖怪画や物語絵は、直接視覚的な刺激をもたらしくれる。特に江戸後期の浮世絵は平和な時代を迎え、絵師たちの画風も行楽主義を貫き、芸術装飾性が強い構図を用い、洗練された線の並び方と鮮明な色彩により、濃艶な魅力を放っている。それらの絵師の中で、特に歌川国芳の作品はより健康的で力強い生命力に溢れており、 肉体美を誇る武者絵やユーモラスな戯画や奇想天外な冒険ストーリーの物語絵などにより、国芳なりの力強さと一風変わった表現で卓出した個性を放っている。この迫力により、想像の世界でリアルに鑑賞者を冒険させてくれる芸術表現は『山海経』における不思議な世界の表現にふさわしいのではないかと思い、この研究を始めた。 

 1.3研究制作の目的  

本研究では、浮世絵の芸術表現を用い、『山海経』について神話的な部分に着目し制作を行った。そして、画面の迫力とインパクトを出すことを重視し、鑑賞者に面白さを感じさせるための『山海経』の視覚化について考察することを目的とした。そこで、『山海経』に感じた野生的な美意識と自然に敬意を持った深い考えを歌川国芳とその門下の表現技法を取り入れることで、『山海経』を今までにない表現にすることが可能であると考えた。それにより、『山海経』を知っている中国の人に新しい印象を与え、『山海経』における自然に敬意を持つ深い考えについて興味が生まれるきっかけになればと思う。その一方、浮世絵風にすることで浮世絵に馴染みのある日本の人と浮世絵の魅力に惹かれた外国の人にもその人々が知らない『山海経』に少しでも興味を持ちやすくなればと考えている。 


 2.研究制作の方法 

 2.1国芳の作品の模写により特徴を分析する 

最初の段階に歌川国芳を含め、代表的な浮世絵師と浮世絵の歴史また題材の種類を調べた。歌川国芳は後期の代表的な浮世絵師の一人で、代表の作品は武者絵の『通俗水滸傳濠傑百八人一個』(以下は『水滸伝』と言う)である。『水滸伝』は成熟した線描と画面の荒々しさを鑑賞者に印象づけている。その中より、力強い筋力表現がある作品を選び、模写を行った(図2、図3)。数回の模写を通し、国芳の作品にインパクトを感じる理由が生命的な線の使い方による表現であるということに気付いた。その線について考察し、いくつかの特徴を明らかにした。  

国芳の作品を見ると、線で構成されているが、リアル感が強く感じられる。本体の本質を深く理解していないと描くことができないものであろう。そして、国芳の線は単なる形を表現しているわけではない。その立体的な物の中に面を通した量感を可視化し、力の展開も表現されて重さが溢れている。国芳の地位を確立したとされる『水滸伝』において、線によって力の展開の表現について確認できる。すべての線には意味があり、線の長短と抑揚により、柔らかさと硬さを表現している。筋肉が突出していることを半円形の線描で表現し、関節点のところで短くて変化が多い線で描かれることにより、表面の皮膚が引っ張られている緊張性が見られると考えられる。  

また、国芳の線は全般的に重く、色が濃く描かれている。立体物の厚さは太く、薄さは細く筆触で表現される。これは画面の力強さを出すため描いたためではないかと考えられる。人物の筋肉線が太く描かれることにより立体物の厚さが表現できる。そして、服装の線は体によって動いている柔らかさを表現するため、人体より速さがあり、動きの方向性を持っている。 線が量感を含むことによって、立体物の表現たり得るのである。 それだけでなく、国芳が描いた人物は静止状態ではなく、動いているように見える。まるで生きていて次の姿も予測できるような運動感を持っている。この運動表現は線の去来性がればこそ存在している。去来性というのは、正反対の方向の展開が同時に成立することである[3]。線の去来性により不調和性や弾力性が表されている。国芳の線の去来性が非常に豊富であったからこそ、人物の活発で生命力がある感じと画面の緊張感も増強していき、画面に迫力が表現できたのであろう。 技法について、国芳は鉄線描法(図4)と釘頭鼠尾描法(図5)を用いることが多いと考えられる。鉄線描法と釘頭鼠尾描法は中国の十八描法の中にある線の表現技法である。金原省吾(1976)による、 鉄線描法の特徴は直筆で太さが一定し、石面を錐で重く硬く遅い描線である。しかし、この線はただ黒く沈み込んでいるだけではない、線は重から軽まで一つの内部の可動性を持って存在しているので、変化の可能性を含んでいる。一方、釘頭鼠尾描法は釘頭が打ち付けのあるのである、そして、あとはすこし筆を浮かせて筆を引き、順次に力を抜いて、線を細くして終るものである。この描法により風に吹かれてから体離れるものが表現できる。服装の末端は軽くなるので鼠尾で終わるということである[4]。  

そして、もっと細かく見れば、国芳に描かれた人物は、均一な輪郭線を用い、服装の線は太く濃い筆跡が採られている。武者絵において人物の顔や皮膚の部分は細く、服の部分は太く、輪郭線の肥瘦を描き分けていることも多い。ぎょろりとした目、くの字形の鼻、への字形に結ばれた口など顔貌表現に定型化が見られる。 この意匠化された表現は浮世絵風の装飾的な描写となっていると考えている。そして、輪郭線は墨線を用いているだけではなく、色線も付けていることがある。色線により、輪郭を強調する一方、明暗関係や立体感を表そうとする可能性がある。  

以上のことを通し、国芳の特徴については幾つかにまとめられる。 ①立体物に対する写実的な描写を表現し、線で面の下の立体物を表現している。 ②立体物の中に力の展開もしっかり把握し、線によって量感と力感を出す。 ③重さと去来性があり、力強さと動きを表現している。 ④輪郭線が均一で色線を付けていることがある。装飾性を表現する一方立体感も表している。 ⑤顔や皮膚の部分が細い線で、服の部分が太い線で描いている。画面のバランスをうまくとるためであると考えられる。  

 以上にまとめたように、国芳の作品の大きな特徴として力強い線の表現があった。それを自分の作品に取り入れることを課題として、次の作品に取り組んでいった。

 2.2『山海経』における宇宙時間の観念と奇怪な神々  

表現技法以外は、重要な題材をとした『山海経』について調査を行った。『山海経』では、奇怪な神々と予告性がある怪獣が多く書かれている。それらの神々が複数の生物の身体的な特徴を持っていることが多い。その身体的な特徴に伝統的美意識ではなく、少し外れた異常な魅力を感じた。しかし、この魅力は国芳の絵と共通点があると考えられた。国芳の作品にある荒々しさと『山海経』に感じた野性的美意識を融和し、画面の視覚的なインパクトを出すことを目指し、実験的な作品を制作した。  

実験的な作品『西王母咆哮図』(図6)の題材対象は「西王母」という複数の生物の身体的特徴を持っている怪神である。「西王母」とは西方の崑侖山に住み、豹尾虎歯の半人半獣、頭に勝という髪飾りをいただき、男か女かさえ分からず、機嫌がよければ遠くに向かって叫ぶことが好きで、そばに三匹の青い鳥おり、食物を運んでくれるという形象になっている。構図は歌川秀輝の『「木曽山中合戦・越中次郎兵衛盛嗣・新中納言知盛」(図7)を参考にし、半人半獣の特徴を表現するため、歌川国芳の『通俗水滸傳濠傑百八人一個・金毛犬段景住』(図8)の筋力表現と門下により描かれた動物たちの作品(図9、図10、図11)を参考にした。一瞬を捉えようとしている画面の緊張感を出すため、「西王母」が叫んでいる場面を選択した。この作品を作ることにより、浮世絵の大胆な画面構成と国芳の力強い筋力表現を『山海経』にある神々に取り込むことができた。  

しかし、「西王母」の制作を通し、単なる国芳の表現技法を捉え、画面の構成によりインパクトを出すこと以外、鑑賞者に共感をもたらす重要なメッセージも重視すべきことである。これらの怪奇な神々と幻の神話を豊かに記述した『山海経』の中には、何か深い意味が含められているのだろう。この疑問に対し、『山海経』で感じた古代の人の時間についての深い考えを考察した。  

ここで宇宙という言葉を使いたい。ここで言う宇宙とは決して科学的な宇宙空間(スペース)という意味ではなく、『淮南子.齐俗训』により:「往古今来谓之宙、四方上下谓之宇」[5]。(宙は過去と現在と未来の時間の総和であり、宇は東南西北の全ての方位と区域である。)つまり、宇宙とは時間と空間の総和である。過去の人々が宇宙に対する興味を持ち続け、探索を続けている、その理由は、人間の生命が常に宇宙と緊密に関わっているからである。たとえ、「生命の起源はいつか」「生命体が出現する前に世界はどんな状態か」「生命を育む条件とは」このような生命についての意識と好奇心が宇宙を探索する原動力となる。  ここの時間の観念を『山海経』では、具体的二点に分けられている。一つは時間の起源についての考えである。もう一つは時間が無限に延伸していくことについての考えである。時間の始まりは現在でも謎であり、時間というのは無限で過去と未来両方へ延伸している。また、現在という観念は相対的に存在し、時間軸では点で表示されている。このような時間という抽象な観念は実際に生活体験で実感できるが、人々の共感を得るため、古代の人が時間を具体的な形があるイメージを象徴し、宇宙についての意識と感覚を表現した。  ここで、

『山海経』における時間の観念を『山海経』にある神々で取り上げ、「帝江」、「燭龍」と「夸父」の三つの制作対象を決定した。「帝江」の話しには古代の人が時間の起源についての考えを表現している。「燭龍」と「夸父逐日」の話しには古代の人が時間の無限性と不可逆性についての考えを示している。  

この時間の概念が作品の重要なメッセージとなり、画面の構図など表現方法により強調されている。この時間の概念を理解し、絵に取り込むことにより、鑑賞者に面白さを感じさせる一方、中国の伝統的な哲学的思想について興味を持っていただければと思う。 


 3.実践とプロセス 

 3.1資料収集と整理  

制作対象を決定した後、その対象について文献調査と資料収集を行う。『山海経』の記述性は基本に物語性が欠けている。しかし、『山海経』以外の中国の文献を調べると、『山海経』にある対象について、詳しい物語が記載されていることがある。従って、『山海経』のみにこだわらず、これらの文献を収集し、整理し、絵画制作の基盤とした。 

 3.2下絵の制作  

下絵の段階にはまず構図を決める。それから必要な参考資料を収集し、参考資料を参照しながら、描きたいものと合わせ、新たに作り変えていく。それは歌川国芳の表現により近い画面表現を出すためのステップである。何回かの画面調整を行い、最後に完成した下絵をパソコンで拡大し、トレシングペーパに転写する。 

 3.3骨書きの制作  

トレシングペーパに転写された線を転写紙で麻紙に移し、筆と墨で抑揚がある線を書き込む。線の描写は画面の最も重要な部分、国芳の特徴を意識しながら、線に変化をつけ、慎重に描写する。例えば、面部と髪の毛の線はできるだけ細く円滑に描き、線は鉄線描法を使い、先頭に転折をつける。また、筋肉の線は違う方向性を持っている濃重な墨線で描写する。修了作品の骨書きを添付する。(図12、図13、図14)

 3.4彩色を施す  

骨書きが完成した後、彩色を施す。まず、全般的な色調を決め、主な色を選択する。歌川国芳は濃艶な補色と暗調を使う場合が多いと考えたため、日本の伝統発色がある日本画絵の具を使い、絵の具の中にコントラストが強く、明度が低い色に抑えた。浮世絵の平面的な表現技法により近くするために主に水干絵の具を使った。一回だけの着色が比較的薄かったため、色の厚みと高い彩度が出るまで、重ねて着色を行った。最後に画面細部の調整をし、重要な線をもう一度筆と墨で強調し、必要な文字を入れた。 


 4.結果考察と展望 

 4.1結果考察  

4.1.1時間の起源についての考えを象徴している「帝江」という神鳥  最初の修了作品の『帝江昇華図』(図15、図16)の題材対象は『山海経』の中、時間の起源を象徴している神の「帝江」という神鳥である。『山海経』の「西山経」により、西方の天山に、形が黄色い袋のようで、炎のように赤く、足が六本、翼が四つで、耳、目、口、鼻はないが、歌舞を理解する「帝江」(図17)という神鳥がいるとある。《山海经》 第二卷《西山经》云:"又西三百五十里曰天山,多金玉,有青雄黄,英水出焉,而西南流注于汤谷。有神鸟,其状如黄囊,赤如丹火,六足四翼,浑敦无面,是识歌舞,实惟帝江也。"[6]その中に描かれている帝江の絵は凄まじいもので、非常に不気味な、不思議な格好の神様である。  

『荘子』により、南海の天帝は「儵」と言い、北海の天帝は「忽」と言い、中央の天帝は「渾沌」と称した。ある時、儵と忽はいつも渾沌のところに遊びに行き、渾沌が両者を大いに歓待した。儵と忽は渾沌の恩徳にどのように報いるか相談し、その結果、「どの人にも目、耳、口、鼻と七つの穴があり、見る、聞く、食べるなどの用をなしているのに、渾沌には穴が一つもなく、われわれが穴をあけてやろうではないか」と意見が一致した。こうして、斧と鑿などを携えて出かけ、穴をあけてやった。一日に一つずつあけ、七日で七つの穴をあけた。しかし、渾沌は親友に穴をあけられ、死んでしまった。《庄子・应帝王》:南海之帝为儵,北海之帝为忽,中央之帝为浑沌。儵与忽时相与遇于浑沌之地,浑沌待之甚善。儵与忽谋报浑沌之德,曰:"人皆有七窍以视听食息,此独无有,尝试凿之。"日凿一窍,七日而浑沌死[7]。  『荘子』に書かれた中央の天帝「渾沌」は「帝江」と身体的特徴が一致しているため、同じものとされている。儵と忽の名前は時間が極めて短いということを意味し、「儵」と「忽」による「渾沌」の死は宇宙の混沌な状態が時を刻むことにより新しい宇宙が始まることを象徴している。抽象的な観念を比喩表現により、人々にその観念を分かりやすく伝えていたと考えられる。  

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「儵」と「忽」のショックを受けた直後の表情と誇張された動きにより、「帝江」が亡くなったことに同情と後悔の気持ちを表す。その対比に、「帝江」の死により生まれた新しい世界の人々の楽しそうな表情と動きを強調し、画面上にドラマチックな演出をした。『帝江昇華図』の構図は歌川芳艶の『頼光足柄山ニ怪童丸抱図』(図18)を参考にし、新世界の人々の表現は河鍋暁斎の『豊年萬作おどり』(図19)を参考にした。

 4.1.2時間の延伸についての考えを象徴している「燭龍」という神 また、修了作品の『燭龍現化図』(図20、図21)の題材は『山海経』の中、もう一つの宇宙時間の観念、時間の延伸についての考えを象徴している神「燭龍」である。「燭龍」は、『山海経』の「海外北経」にて、北海の鐘山に住む神で、人間のような顔と赤い蛇のような体を持ち、体長が千里に及ぶとされる。目を開けば昼となり、目を閉じれば夜となる。息をすれば四季の変化が起こると書かれている。《山海经·海外北经》:「锺山之神,名曰烛阴,视为昼,瞑为夜,吹为冬,呼为夏,不饮,不食,不息,息为风,身长千里。在无 之东。其为物,人面,蛇身,赤色,居锺山下[8]。昼は明るく、夜は暗く感じる人間の視覚的な感覚を瞬きによる変化として表現し、「息をすれば四季の変化になる」という特徴は、四季の変化を気温差と捉え、気温差で人の呼吸による気体に変化が起こることと似ている。こういった四季変化や昼夜の交替など、古代の人が実際の生活の中に体験した時間の延伸である。『山海経』では生命についての大胆な想像は実際の生活の体験に基づいて作られているのである。  「燭龍」の身体の動きを出すため、遠近法を意識した変化がある配置とした。前方にある蛇身と頭はわざと膨らみを作り、遠くにある細くなった蛇身と対比をつけた。また、太陽と月を対角線に配置し、昼夜の表現により画面をはっきりと分けた。蛇身の描写は歌川国芳の『通俗水滸傳濠傑百八人一個・中箭虎丁得孫』(図22)と歌川芳艶の『鏡客水滸傳之内木隠ノ霧太郎幼術ヲ以テ姿ヲ隠ス』(図24)を参考にし、雲の表現は歌川芳員の『源頼政鵺退治之図』(図25)を参考にした。

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4.1.3時間の不可逆性を象徴している「夸父逐日」という話し  そして、修了作品の『夸父逐日図』(図26、図27)は『山海経』の中に自然の力で形成された時間(日、月、星の上昇と沈むこと)の不可逆性を具象化されていることを表した。「夸父」(図28)は『山海経』の「海外北経」にて、東にいる巨人族で、右手に青い蛇を持つ。ある日、夸父族の一人の勇者は太陽を追いかけて日の入りに迫った。あまりにも喉が渇いて水が欲しくなり、河水(黄河の古称)と渭水の水を全て飲んだが、なお足りず、北の大きな沢で飲もうとして、到着する前の道で渇きのため死んでしまった。その杖を棄てると、鄧林( 桃林)と化した。《山海经·海外北经》:夸父与日逐走,入日。渴,欲得饮,饮于河、渭;河、渭不足,北饮大泽。未至,道渴而死。弃其杖,化为邓林[9]。「夸父」の話しから、世界が常に回っている時間の戻れない特徴が強調されている。刘文英による書かれた『中国古代の時間観念』に時間は方向があるもので、常に将来へ向いていると述べている。人類史に時間の流れは不可逆的なものである[10]。

『山海経』では時間の不可逆性によって生命の有限が死亡に対抗できないことの深刻さを悟っているのだろう。  また、構図と表現技法について、太陽と夸父の姿を対比された構図により、画面上のドラマチックな雰囲気を作り出すことができたと考えられる。画面上に夸父を大きく描き、その視線の先に遠くに太陽を置く。太陽の光のラインを強調し、大げさな身体の動かし方により、装飾的な画面を配置した。背景の山の表現は歌川芳虎の『義仲平家之大軍戦図』(図29)を参考にし、夸父の筋肉の線の表現は国芳の作品『通俗水滸傳濠傑百八人一個・阮小吾』(図30)を参考に重く、太いラインで強調し表現した。一方、夸父の嬉しいような表情と面部のラインは細く丁寧に表現し、筋肉の表現と対比をつけた。

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 4.2展望  

古代の人は生命について大胆に想像している。それは危険に満ちた自然に敬意を払うと同時に自然を中心にして世界や宇宙を探索している思想の反映だろう。『山海経』における宇宙時間の観念を象徴している以上の三つの神々を題材として自分なりの理解を含め、制作を行った。全て古代の人が宇宙時間に対する理解を表現していると考えている。「帝江」、「燭龍」と「夸父」の三つの制作対象から、『山海経』における主な宇宙時間の観念を鑑賞者に伝えられると考える。  今回の制作を通し、浮世絵の表現方法と中国の伝統的な題材を融和した新たな表現ができた。今後も、この制作方法を用い、『山海経』を題材にした制作を続けたい。また、絵画の形で展示するだけではなく、絵本の形で鑑賞者に『山海経』と浮世絵の魅力を広げていこうと考えている。


 [1] 袁珂/鈴木博訳、『中国の神話伝説』、青木社、1993年、p.44 [2] 袁珂/鈴木博訳、『中国の神話伝説』、青木社、1993年、p.38〜p.40 [3] 金原 省吾、『絵画における線の研究 上巻』、国書刊行会、1976、p.13 [4] 金原 省吾、『絵画における線の研究 上巻』、国書刊行会、1976、p.316 [5] 刘安(前179-前122)、『淮南子・齐俗训』、古詩文ウェブサイト http://so.gushiwen.org/guwen/bookv_3567.aspx 、2017-11-8 [6] 『山海経・西山経』、https://baike.baidu.com/item/帝江/7026599?fr=aladdin、2018-1-16 [7] 『庄子・应帝王』、https://baike.baidu.com/item/帝江/7026599?fr=aladdin、2018-1-16 [8] 『山海経・海外北経』、https://baike.baidu.com/item/%E7%83%9B%E9%98%B4、2018-1-16 [9] 『山海経・海外北経』、https://baike.baidu.com/item/%E5%A4%B8%E7%88%B6/5143、2018-1-12 [10] 刘文英、『中国古代の時間観念』、南开大学出版社、2000、p.40



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